- 悩みから開放されたい
- ブッダに興味がある
- 人生を単純化したい
今回は、人間誰しもがもつ「あらゆる悩み」を解消できる本である『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」』という本が素晴らしかったので、みなさんに独自の視点でアウトプットしていこうと思います。
作品情報
第1章 反応する前に「まず、理解する」
第2章 良し悪しを「判断」しない
第3章 マイナスの感情で「損しない」
第4章 他人の目から「自由になる」
第5章 「正しく」競争する
最終章 考える「基準」を持つ
この本の内容を一言で表すなら”ブッダの思想を使って「悩み」を根本からなくす方法”が書かれている。
著者:草薙龍瞬
■経歴
1969年生。奈良県出身。
中学中退後、十六歳で家出・上京。
大検(高認)をへて東京大学法学部卒業。
政策シンクタンク勤務等を経て30代半ばで得度出家。
ミャンマー国立仏教大学専修課程修了。
■主要メディア
心の「ムダな反応」を無くす前の下準備(前提知識)
ブッダの「反応しない」というのはどういうことなのか?
これを理解するためには、ブッダの基本的な姿勢について学ぶ必要があります。
おそらく、今までの自分の価値観の前提が覆されることが多いので、理解に苦しむかもしれませんが、こういう考え方もあるという立場になって読めば、取り入れたいエッセンスやハウトゥーは必ずみつかると思います。
それでは見ていきましょう。
人が持つ基本的な悩みには8つあることを知る
普通の人なら誰しもが持っている悩み。それには大きく分けて8つあります。
- 生活することに対する悩み
- 歳をとることに対する悩み
- 病気することに対する悩み
- 死ぬことに対する悩み
- 嫌いな相手に対する悩み
- 愛する人と別れることに対する悩み
- 欲しい物が手に入らないことに対する悩み
- ままならない人間の心に対する悩み
これらはいつもすべて自分の中に内在しているわけではなく、なにかしらの心身の変化によるトリガーによって引き起こされます。
基本的には、①、②、⑦、⑧の悩みが多いのではないでしょうか。
これらのうち1つでも当てはまることがあるなら、あなたはそれに
執着している状態=心が反応している
となります。
「反応しない」=「正しい理解」なのだと知る
ブッダの考えは、さきほど挙げた人間の8つの悩みに対して「反応しない」ことが「正しい理解」だということです。
あくまで、「ただ見るだけ」です。
動揺しない、何も考えない、じっと見つめるだけ。
ここまで徹底したクリアな心で、自分や相手、世の中を理解することを、ブッダは「正しい理解」と表現しています。
私たちがここまで徹底するかは別として、
ブッダの考えは、「これがベースであり、全てである」ということを知っておきましょう。
目覚めた者は、人間が語る見解、意見、知識や決まりごとに 囚われない。
彼は、善し悪しを判断しない。
判断によって心を 汚さない。
心を汚す原因も作らない。
ブッダは、正しい道(方法)のみを説く。
かくして「わたしが」という自意識から自由でいる。
──スッタニパータ〈心の清浄について〉の節
自分を絶対に否定しない
「失敗した」
「自分はなんでこんなこともできないんだ!」
このように思ってしまったことはありませんか?
人間誰しもがあると思います。私もよくあります。
しかし、ブッダいわく大事なのは、そこでクヨクヨしないこと。
けして自分を否定しないことです。
なぜなら、否定も判断だから。
この大前提はいかなることが起きても覆りません。
正しい心がけを持つ
目を閉じ、呼吸をしながら「生きとし生けるものよ、幸せであれ」と願ってみます。
みんな幸せなら、犯罪も起きませんし、身の回りで嫌な思いをする人もいなくなります。
そして、「みんな、いろんな思いを抱えて今を生きている」という気持ち向けてみます。
心が汚れそうになったらこうした心がけに、何度でも帰ってみる。それでいいのです。
人生自体、「戻っては、踏み出す」の繰り返しです。
失敗したって、いつでも人生はリスタートできるということを知ってください。
「ムダな心の反応」を無くす3つの方法
さあ、ブッダの思考を理解するための下準備は整いましたでしょうか?
ここからはより実践的に、「ムダな心の反応」を無くす方法を見ていきます。
ブッタは以下の状態を順番に「理解」していけば必ず解決すると言います。
「悩みがある」
↓
「悩みには理由がある」
↓
「悩みには解決策がある」
これらを分離して解釈していくことで、悩みからどんどん自由になっていきます。
このステップが半自動的に行われる方法を具体的に解説していきます。
すべて似たメリットですが、1つをやるのではなく、併用していくことで相乗効果が期待できるようです。
壱:心の状態を言葉で確認する(ラベリング)
「心の状態を言葉で確認する」ことを、仏教の世界では「ラベリング」と呼ぶことがあります。
仕事中や家にいるときなど、なるべく日常生活のなかで
「今の自分の心は、どんな感じか?」と問いかけてみて、それを「言葉で確認」してください。
「今の自分の心は、どんな感じか?」⇒「私はイライラしている」
「今の自分の心は、どんな感じか?」⇒「私はいま、混乱している」
「今の自分の心は、どんな感じか?」⇒「私の心がざわついている」
「今の自分の心は、どんな感じか?」⇒「考えがごちゃごちゃしている」
まるで自分が2人いるかのように、客観的に確認します。
弐:心の外側の感覚を意識する
- 目を閉じる
⇒以後の動作はすべて目を閉じた状態で行う - 自分の手を見つめる。
⇒暗闇のなかで「手の感覚」を意識する - その手を見つめながらゆっくりと広げて、肩まで来たらゆっくりと戻していく。
⇒「動いている手の感覚」を意識する(手の形、当たる空気) - 手のひらを上に向けて脚の上に置く
- 手を握ったり、開いたりする
⇒「手を握る感覚」「手を開く感覚」を意識する - カラダの感覚を 見つめながら、立ち上がる。
⇒立ち上がるときに使う「筋肉やヒザの動きの感覚」を意識する - その場で歩く。
⇒「動く足の感覚」特に、「足の裏の感覚」を見つめて、歩く。(安全な部屋なら実際歩いてOK)
参:アタマの中を分類する
個人的には、5分くらいで思考がクリアになって、物事の洞察力や集中力が上がる効果を実感しました。
「ムダな心」は、仏教用語で三毒と呼ばれる、貪欲、怒り、妄想という観念で構成されています。自分のなかに、三毒のうち1つの要素でも見つかった場合、すべて内在していると思ってください。(怒りの中には貪欲があるなど)
ただし、それぞれの毒を取り除くには、それぞれのやり方があります。
一つ一つの毒を理解して対策を講じていくことで、頭に渦巻くモヤモヤが晴れていきます。
貪欲
貪欲=過剰な欲求に駆られている状態
簡単にいえば、求めすぎたり期待しすぎている状態のことです。
過度な期待や、人間関係に対する不満はほとんど、この「求めすぎる心」が原因。
自分に対しても、他人に対しても
「求めすぎていないか」
常に気をつける習慣をつけましょう。
求めすぎる心を持ち続けると、それが手に入っても入らなくても、最終的には自分の首を絞めるだけでなく、相手も不幸にしてしまう怖さがあります。
怒り
怒り=不満・不快を感じている状態
怒りは貪欲と結びついています。
イライラしている、無性にムカつく、ストレスを感じる、といったときは、「これは怒りの状態だ」と理解するようにしましょう。
だから、「私は怒りを感じている。でもこの怒りは”求める心”が作り出した根拠のない怒りである」
と正しく理解して、心を静めるように心がけましょう。
妄想
妄想=誤った認識をしている状態
妄想をリセットする基本は、「今、妄想している」と客観的に言葉で確認することです。
悩みはいつも「心の内側」に生じます。だから、悩みを抜けるには、「心の外」にあるカラダの感覚に意識を向けることがベストの方法なのです。
これがイメージしづらい場合は、次の方法で妄想の正体を確認します。
- 目を閉じます
- 暗闇の中で、何かを思い浮かべる
⇒今朝食べたもの、スマホのゲーム、なんでもいいです - 次に、目をカッと見開き、部屋の中や外の景色を見つめます
⇒「ああ、これが見えているということか(視覚的に)」と意識します - この時点で②で浮かべていた脳内の映像は存在しないはず
- このとき「さっき見ていたものは、妄想である」「今見ているのは、視覚(光)である」 と、はっきり認識する。
このように、「妄想」と「感覚」の違いを認識する練習をしていくと、「妄想から抜ける」ことが上手になっていきます。
数か月これらを意識することで脳内が見違えるほどすっきりとしているはずです。
それでも物事について判断してしまったときの対処法
私たちは仏でもないし、ブッダでもありません。
「反応しない」ことが重要だとわかっていても、良くないことが起きたり、他人からの刺激などによって、衝動的に反応してしまうこともあると思います。
そこで、ブッダはそういったときのための対処法についても教えてくれました。
①「あ、判断した」という気づきの言葉を自分に与える
「今日はツイていないな」
「また失敗してしまった」
「あの人は怒ってばっかで嫌だ」
「自分は結局ダメダメな人間なんだ」
といった思いがよぎったときは、反射的に「あ!判断してる!」と気づくようにしてください。
判断しているときは、心の波が揺れている状態です。これに気付こうとするだけでも、心の波をフラットに近づけることができます。
ただし、判断してしまって「しまった!!」とかは思わないでくださいね。(「しまった!」も判断だから)
②「自分は自分」と考える
判断は「心のクセ」のようなもの。
世の中には、テレビを見て「こういうやつがいるから世の中はだめになる」だとか「もうちょっと政治のやり方変えたほうがいい」というように批評家気取りする大人がいます。
こういう大人に限らず、あれはいいだとかこれはダメだとか、人は本質的に物事に対して評価を下すことが大好きです。
人は常に比べたがるように教育されてきたので、仕方ないとは言えますが、自分もソレと同じように、物事に評価を下す癖をつけてしまうと、ブッダ的に反応しすぎなのでアウトです。
「判断大好き人間」になると、結果的に対立を生み、苦しみます。もし、自分がこれ以上苦しみたくないなら、判断を手放そうと覚悟を決めることも必要です。
荒々しい言葉を語る人もいるかもしれないが、わたしは荒々しい言葉を語らないように努力しよう。
自分の考えに 囚われる人もいるかもしれないが、わたしは自分の考えに囚われないように心がけよう。
間違った理解や思考を手放せない人もいるかもしれないが、わたしは正しい理解と思考が身につくように頑張ろう。
見栄やプライドにこだわる人もいるかもしれないが、わたしは見栄やプライドから自由でいられるように精進しよう。
自分をよく見せたがる人もいるかもしれないが、わたしはありのままの自分で生きていくように努めよう。
ーーチュンダへの諭し スッレカ経 マッジマ・ニカーヤ
③いっそのこと「素直になる」
「素直」とは、「まっすぐで純真な心」のことです。
「正しいと思い込んでいる自分」よりも、「素直な自分」でいるほうが、人から見ても、自分から見ても魅力的に映るはずです。
「素直な自分」ならば、人の話を親身に聞くこともできるし、心を開いて話し合うこともできます。そのほうがお互い幸せだと思いませんか?
逆に、「正しいと思い込んでいる自分」のままだと、相談に対して余計な意見をどうしても言いたくなってしまったり、エゴを通したくなるものです。
まずは「素直になってみよう」 と考えることからでいいので、はじめてみましょう。それだけでも、少しずつ素直な自分になっていくことが実感できると思います。
おわりに:「反応しない」「判断しない」ことには例外がある
さいごに、これを反応しない練習をする際の注意点です。
世のなかには、少数派ですが「他人を攻撃したくてたまらない人」がいます。
そういう人と対峙したときに「反応しない」のはかなり困難。できたとしても物凄く危険です。
私も実際に対峙したことがありますが、そういう人は道理が通用しません。正直、めちゃくちゃ怖いです。心理的にも物理的にも傷つけることに特化した人とは別の生き物のように感じます。
ここでブッダの考えを盲信して「相手を判断しない」ことを徹底すると、事態が大きく悪化してしまうこともあるかもしれません。
そこで、私なりに対策を考えてみました。それは、「分けて考える」です。
基本的に、「反応しなくていい」ことばかりなのでブッダの考えを使って人生をよりよくしていく。ただし、反応しなければいけないことには例外的に反応していく。例えば、第六感で「危なそうな人が近づいてきている」と判断したら、そのときはしっかりと逃げること。
こういったように、1つ例外の選択を作っておくことで、もしもイレギュラーな相手が現れても、あなたの心が濁る可能性は下がるわけです。
ブッダの完コピは、一生の人生を捧げなければ難しい。
だから、使えそうなエッセンスを部分的に吸収していくのが正解なのかなと。
それではよきブッダライフを!!